■ 電車寝台急行の旅 ■

鉄道旅行の楽しさ再発見
2005年春、この青春18きっぷシーズンは兼ねてから気になっていた583系唯一の定期運用である寝台急行の体験乗車を実行に移すことにした。583系は寝台で利用するのがもっとも「らしい」体験ができると思っている。18きっぷで大阪まで出てこれに乗車し、新潟についたら東京までの帰りのルートをいろいろと画策できるのもいい。というわけで2日前の3/10に日本一の乗降客数を誇る某駅みどりの窓口にて下り「きたぐに」の下段寝台を所望。残念ながら禁煙車は取れなかったがそれでも下段を確保し、いざ出発。総移動距離は1500kmくらいになった。

[2005/03/12]
練馬→新宿→東京→熱海→浜松→豊橋→米原→(大阪→新潟)
[2005/03/13]
新潟→小国→羽前椿→米沢→福島→郡山→いわき→上野→東京→新宿→練馬

◆第1弾
 2004/8/28〜8/29
東京 14:03
 ↓ (833M)
熱海 15:51
211系
クハ210-2007
10時頃ゆっくりと起きて、かるく入浴を済ませたあと12時半頃家を出る。機材は例によってモータードライブを外したF3と50mm。今回は車内撮影も予定しているのでもう1本、35mmをザックに入れた。
運転席後方からの
眺め
最終上りあさかぜを撮影した36コマ撮りフィルムがまだカメラに入っていて、15コマほどしか写していなかったけれども、念のため新宿ヨドバシで24コマ撮りのRHPVを購入。ISO100のリバーサルと比べてずいぶんと高く、900円くらいした。東京駅に着くとすでに833Mは入線していたがとりあえず先頭車両に行ってしまう悲しい性。平塚から先、車内もすいてきたので前面展望を1枚。
熱海 15:57
 ↓ (477M)
浜松 18:22
211系
クハ210-5043
熱海からはJR東海管内。477Mは6分の乗り継ぎで豊橋行きだ。が、あえてこれを浜松で乗り捨てる作戦に出た。というのも、このまま一番早い乗り継ぎで移動しても、結局米原からは新快速3539Mに乗ることになるからであった。
うなぎ弁当
\1,200
米原はコンビニもないし21時過ぎでは駅弁も望めない、寒空のなかを30分も待つのは得策でない、というわけで浜松でそれらの用を足すことにした。まずは天玉そばで空腹を満たし、夜食用に駅弁を買いに行く。しらす弁当が本当は欲しいところであったが赤ワインで蒸してあるという「うなぎ弁当」を所望。あとはお菓子とドリンクを買い、ホームへ上がって快速を待った。
浜松 18:49
 ↓ (5133F)
豊橋 19:23
313系
クモハ313-311
快速は多少遅れたのか、18:45着のところけっこうぎりぎりに入線。本来4分折り返しであるが、乗降が済むとそそくさと発車した。さっそくお菓子とドリンクを取り出していただく。豊橋ではまたさらに乗り換えの作戦に出た。10分差で豊橋を出る5253Fなら米原まで乗り換えなしで行けるためである。というわけでここでも駅弁「稲荷寿し」(\450)を購入。
豊橋 19:37
 ↓ (5253F)
米原 21:36
313系
クモハ313-14
持ってきた小説を読みながら快適な313系でひとときを過ごす。名古屋まではすいていたがそこから先はさすがに帰宅客で混みあう。でもそれも木曽川を過ぎる頃にはほとんど降りてしまい、大垣ではガラガラだった。
米原 21:39
 ↓ (3539M)
大阪 22:59
223系
クモハ223-1012
米原ではタイミングよく3分の乗り継ぎでJR東海からJR西日本に乗り換え。南彦根あたりまでは若干積雪があったが近江八幡に着く頃には雪もなくなっていた。大阪に着く直前、今夜の宿となる「きたぐに」としばし併走する。向日町を出区してきた583系だ。寝台をセットしている5〜10号車はグリーン車を除いてカーテンを閉じている。淀川を渡ると、583系10連の編成は梅田貨物駅の方へと吸い込まれていった。
大阪 23:27
 ↓ (501M〜3527M)
新潟 08:30


583系
モハネ583-90
果たして大阪22:59定時着。
本日のメインターゲット、「きたぐに」発車ホームを確認し、北の外れにある11番線ホームへ急ぐ。階段を上がると、ちょうど西方から入線してくるところであった。優等列車専用のためなのか、新快速や大阪環状線のホームの喧騒をよそに、ほとんど人気がない。今夜の「きたぐに」のレチ氏と思しき乗務員の方にコンビニの場所を聞くと、「階段を降り、桜橋口方向に連絡道を進んで3〜4番線の手前を左」と、懇切丁寧に教えてくださった。缶チュウハイとおつまみ(小ガニのフライ)を買い込んで、まずは反対の10番線に上がって姿写真を頂く。ブラケットとして絞りを変えて3枚ほど写す。
ヘッドマーク そして11番線に戻り、佐渡おけさを図案化したヘッドマークを写す。
モハネ582
サイドビュー
つづいてモハネ582を写す。なぜか乗車するのは8号車と思い込んでいたので、組成されているモハネ582-101を一所懸命に写す。
モハネ582車番 切り文字であしらわれた車号を写す。この豪華な仕様は特急車以外では201系だけだ。最近はインレタ化されているのでますます安っぽいイメージになっている。
モハネ582デッキ 重量軽減と省スペースのため折り戸になっている入り口を写す。向日町の583系といえばかつての九州方面の寝台特急に加えて雷鳥や臨時日本海としても走っていたことがあるのを思い出し、その実際に栄光の年輪をつみかさねた車両の車中の人になれるのは至福以外のなにものでもない。
モハネ582サボ 電照式のサボに露出をアジャストして写す。正方形に近い横サボは久しぶりの対面だ。「FOR NIIGATA」の表記が旅情を誘う。道程はこれから600km弱の長丁場だ。
モハネ582車内 4号車のモハネ582-90の車内に入り、天井に仕舞われたままの上、中段寝台を写す。中段は、つき出た腕の先端を軸に網棚を一度外に回転させて出し、そこにできた空間をくぐらせておろす。上段は網棚を元に戻し、その上に載せる格好になるはずだ。
モハネ582車内 視線を通路に落とし、モハネ582-90の車内を写す。下段寝台はこのボックス席の座面と背擦りの下半分を向かい合わせに引き出して構成される。通路側の肘掛には、回転式テーブルと灰皿が残されている。
モハネ583車内 4号車を写しているうちに動き出したので自席の5号車モハネ583-90に移動する。寝台を組んだ車内はもう寝る準備がすっかり整っている。24系とちがってシーツがすでに敷いてくれてあった。
さて、浴衣に着替えて荷物を足元に追いやり、カーテンを閉めてかるく横になってみる。列車は快調に山崎の築堤を飛ばしているようだ。読書灯を消したらもう自分だけの世界。中段ベッドにちょっとアタマがつっかえるが、窓のカーテンを開けて(残念ながらベネシャンブラインドは撤去済み。以前乗った青森車はくるくる回す取っ手がついてた)、流れ去る町の灯かりを眺めつつチューハイをいただく。京都に停車したまでは記憶があるが、米原の声を聴いた記憶はないので、その後すぐに眠りに落ちたのであろう。
新潟に到着。 明けて3/13。直江津の場内アナウンスは遠くの方で聞こえていたがまだまだ意識は遠く、はっきりと目覚めたのは柿崎だった。運良く私の寝台である8番下段は進行左側だったので、鯨波付近では荒ぶる日本海の高波を見たり、長鳥付近では雪景色を楽しんだり(中越地震の影響で徐行)と、新潟に到着するまで風景を楽しむことができた。そして、徐行区間で若干の遅れが出たものの余裕のあるダイヤのため8:30定時に新潟駅7番ホームに「きたぐに」はすべりこんだ。
あらためて感じるのはやはりゴッパーサン、登場から40年近く経てもなお魅力的な車両であるということだ。その面目躍如たる長距離夜行便にいまなお就役中なのは嬉しい限りである。
いなほ発車。 新潟のホームに降り立つと、向かいの6番線からは「いなほ」が発車していくところだったので記念に1枚頂戴する。僅かな時間であるが、国鉄が誇った三電源特急車の競演だ。
新潟 08:39
 ↓ (3822D)
小国 10:20

キハ58系
キハ58 1022
そして新潟からはなんとなく決めていたルートの米坂線を選択し、2番線から発車の快速「べにばな2号」を目指す。跨線橋から2番線を見下ろすと、そこには国鉄時代の塗色にリバイバルされたキハ58が発車を待っていた。
発車してしばらくして、レチ氏に18きっぷに日付を入れてもらう。手書きで日付に加えて「3822D レチ」と入れられていた(Dは上寄せ)。
キハ58車内 前日のひばり氏からの連絡で米坂線は雪崩が発生し一部不通になっているのは知っていたが、本日はその区間はバスによる代行輸送とのことである。ようやく腹も減ってきたところで、前日買い求めておいたうなぎ弁当を頂く。
ちなみにこのキハ58は車内両端がボックスシートではなくロングシートに改装されている。
坂町到着。 弁当を食べ終わると同時くらいに坂町に着いた。3分停車とのことなので、外に出て一枚いただく。雪の降りたホームとキハ58。日本の冬の風景はやっぱこれだなと。
キハ58運転台 車内に乗り込んだら運転台も写してみる。保安装置類が追加されている以外は、よく原型を保っているように見える。
時刻表アップ。 運転台に置かれたレチ氏の運転時刻表をアップにしてみると、不通区間になっている小国〜羽前椿だけでなく、米沢まで斜線が引かれているのがわかる。
小国到着。 坂町からは、列車はどんどん雪が深くなる山あいへと足を踏み入れ、10:20定時、うずたかく雪の積もった小国についた。見れば3mくらいの積雪であろうか。
小国駅構内とキハ58。 不通のため米沢まで乗りとおすことができなかったが、それでも国鉄色のキハ58に乗れたのは幸運だったといえる。
乗客が降りてしまい、取り残されたような顔のキハ58を1枚写す。
小国 10:20
 ↓
羽前椿 11:06
代行バス 代行バスは越後交通のバスであった。JRが借り入れてきたのであろう。バスは伊佐領の駅前集落と手ノ子に停まりながら、ほぼ列車と同じ時刻で羽前椿に着いた。車中、職員氏がしきりに代行となっていることを謝していたが、なかなかどうして立派な代行であった。
羽前椿 11:06
 ↓ (3822D)
米沢 11:47

キハ20系
キハ52 137
羽前椿に着いて代行バスの運転士氏に軽くお礼を述べてホームに入ると、待っていたのはキハ47とキハ52の2連であった。もちろん2両目のキハ52に乗り込む。
キハ52車内 キハ52の車内はほぼオリジナルのレイアウトを保っている。壁の素材がすべて張り替えられているためとても明るい印象になっている。またエンジンが換装されているので加速の感覚やサウンドは、オリジナルとはまったくの別物だ。
米沢到着。 米沢には定刻着。羽前椿からはわずか40分くらいの道のりであるが、べったりと着雪した表情から激しい降雪のなかを強行してきたのがよくわかる。
キハ52表情。 激しく降りしきる雪とあいまって、キハ52も寒さに震えているようだ。雪国にはすそ絞りのないキハ20系のスタイルがよく似合う。
キハ52車番 乗車の記念に「キハ52 137」の車番を写す。サボは[羽前椿⇔米沢]のものがセットされている。
キハ47 先頭を切って走ってきたキハ47の前面もかなりの着雪だ。米沢では1時間半ほどの乗り継ぎ時間があるので、駅舎の中をお土産品などを物色して過ごした。
米沢 13:13
 ↓ (428M)
福島 14:00
719系5000番台
クハ718-5008
米沢からは719系5000番台で板谷峠を越えた。いつもは峠駅をあっさり発車してしまうので峠の力餅は買わないのであるが、今回は30秒ほど停まった。今にして思えば買っておけばよかったが後悔先に立たず。
福島 14:20
 ↓ (1138M)
郡山 15:06
719系
クハ718-29
福島ではオレンジカードと郡山銘菓「ままどおる」を仕入れ、入線していた719系に乗り込む。相席となった老婦人たちの早口の郡山弁の会話はかなり郷土色が強く、ほとんど理解不能であった。ゆっくりの英語の方がまだ理解できるのではないだろうか。
郡山 15:07
 ↓ (736D)
いわき 16:38

キハ110系
キハ112-108
郡山では周囲を見渡す余裕もなく1分乗り換えでキハ110系の片運車キハ112に乗り込む。最初は着座できなかったが、すぐに三春で座れ、船引を過ぎるとガラガラになったので2人掛けボックス席を確保できた。キハ110系は快適ではあるが、背擦りが高いので、ちょっと首を伸ばさないと室内外が見わたせないのが残念である。
ここでようやく豊橋で買ったお稲荷さんを開く。稲荷寿しが8個に紅しょうがのみという超絶シンプルなお弁当であるが、空腹のため瞬く間にたいらげた。おなかも満たされたら、風景が見たくなり、ロングシート部ではあるが最前席に移動して前面展望を楽しんだ。
いわき 16:41
 ↓ (450M)
上野 20:22


415系
モハ415-9
いわきからは伝統の415系となる。113系とまったく同じ車内は静岡出身の私としてはとても落ち着くレイアウトである。乗り継ぎ時間は3分と短かったが、最初から4人掛けボックス席を確保できた。まだ陽光が残っており、穏やかな太平洋が車窓に映えた。朝は荒ぶる日本海を見ていたのに、昼は豪雪を見て、夕方には太平洋を見ているのは少々意外な感じがした。これが18きっぷの威力ということであろう。
最後に、上野で乗車記念として乗ってきた415系を1枚いただく。
おまけ。 フイルムが2コマほど残っていたので出雲を東京駅で写して使いきり、新宿でヨドバシに出して帰宅。22時であった。
総距離約1500kmを土日で走破した割りには快適な旅であった。
(2005.3.22掲載)

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