■ 南部縦貫 ゆめ半ば ■

極寒の小鉄道
■南部縦貫鉄道の記事を雑誌で読み、思い立って訪問したのは1997年2月15日。ただ1度きりの訪問だった。この年は9月いっぱいで碓氷峠が長野新幹線開業により廃止された年でもあり、趣味的に大変化の年であった。『縦貫』は1997年5月5日かぎりで営業休止、その後2002年8月1日を以って正式に廃止となり、時空のかなたへと消え去った。

はくつる(11レ)
野辺地
寒さもひとしお身にしみる2月中盤、会社の先輩の誘いもあり、雑誌をにぎわせている南部縦貫鉄道撮影の旅に出たのは1997年2月14日のことだった。いったん帰宅して準備を済ませ、上野駅から寝台特急『はくつる』に乗車。翌朝、盛岡のけたたましい発車ベルで目覚め、列車の巻き上げる雪塵を窓ごしに眺めながら野辺地に降り立ったのは2月15日の早朝だった。
キハ102
野辺地
ホームに香ばしいにおいと湯気を放つ駅そばで腹ごしらえし、跨線橋を渡っていざ縦貫のホームへ。そこにはあまりに小さな車両がすえつけられていた。
キハ102
野辺地
運転士氏が竹箒で付着した雪を掻き落とすのに余念が無い。上に見える跨線橋は廃止された現在ではすでに役目を終えている。
キハ102
野辺地
キハ102のサイドに刻まれている社紋。そして煤けたエグゾースト周り。
キハ102
野辺地
キハ102の運転席。コントローラにはアクセル、ブレーキ、そして足元に鈍く光るのはクラッチペダル。写真には無いがシフトレバーもある。人間トルクコンバータとでも言うべき絶妙のアクセルとクラッチワークでキハ102は快走した。
除雪車
野辺地
終端に佇むこれまた小ぢんまりした除雪車。
キハ102
七戸
1時間弱の僅かな旅路を終え、ちいさなレールバスは終点の七戸に到着。噂には聞いていたが、この鉄道、非常によく揺れた。2軸単車ということもあるだろうが、それ以外にも踏面から発生していると思われるビビリがあり、複雑で独特の揺れであった。
キハ102
七戸
七戸は快晴。風もなくおだやかな陽射しが構内を暖めていた。
キハ102
七戸
シチノヘでシチサンの形式写真をいただく。それにしてもおだやかな撮影日和。
キハ101
七戸
七戸の構内を散策。庫内にはキハ101と虎の子のキハ104(元国鉄キハ10?)が格納されていた。
除雪車
七戸
さきほど野辺地に佇んでいた除雪車が戻ってきた。ちいさなボディに似つかわしくない(?)ウイングを広げてラッセル完了。
除雪車と車庫
七戸
白銀の世界に包まれた構内全景。

キハ102
七戸
構内をひととおり撮り終える頃、野辺地に向かって『レールバス』キハ102は折り返していった。
キハ102
営農大学校前〜
盛田牧場前
七戸で硬券やグッツなぞを買い求めたあとは走行シーンが撮りたくなり、嫌がる先輩を無理にさそってタクシーに乗り込んで、目をつけていたストレートで構えてみた。
営農大学校前 営農大学校前の駅名標をいただく。
線路をふと見ると、レール踏面には溶かした鉄がまるでボンドでもなすりつけたように塗りつけられていた。単に補修のためなのか、それとも降雪時のスリップを防止するためなのか・・・。これが『ビビリ』の原因であった。
キハ102
盛田牧場前〜七戸
徒歩で七戸まで戻り、SATYの喫茶コーナーで一息ついた後、七戸至近の踏み切りで走行シーン撮影第2弾となった。気温計は摂氏4度であった。それでも無風のためか、撮影をしていると汗ばむほどだった。
キハ102
盛田牧場前〜七戸
そのまま後撃ちで撃破。
キハ102
盛田牧場前〜七戸
目いっぱいと思われる『同業者』を詰め込んだキハ102。この日はこの後の便で野辺地に戻り、そこから大湊線で下北に移動して投宿した。
はつかり
青森
翌2月16日は、先輩のたっての希望で下北交通大畑線にアサイチで1往復乗車。車両は元国鉄キハ22であるキハ85だ。恐山詣でには田名部からのアクセスが至便であったが、この鉄道も2001年3月かぎりで姿を消した。
青森に戻り、臨時のゴッパーサンはつかりをいただく。
はつかり
青森
ホーム位置から。
たざわ
大館
帰路は、こちらも先輩の希望で大館から盛岡まで花輪線の乗りつぶしに。大館名物の比内鶏を使用した『鶏めし』を食したのはこれが初めてであった。
(2004.4.25掲載)

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